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日記 + 最新小説保管 / 創作・版権二次創作 / 同性愛要素、性表現含
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X-Day (5)
 彼は悩んでいた。
 沈着冷静で内面の葛藤などおくびにも出さないし一切気づかせていない。が、確かに悩んでいた。
 お題目は、この時期お約束といって良いだろう、今年のバレンタイン。
 プレゼントに何をあげるのかは決まっている。お節介な仲間の一人が提唱したおかげで、マフラーを編む羽目になった。仲間内全員がマフラーをプレゼントするのだが、色や柄、長さは個人の自由。それならば恋人の髪色に映えるよう黒にしようと思ったが、黒は「誰か」とそろいになると知り銀糸をちりばめた淡いグレーに変更した。
 その「誰か」とのそろいで恋人の嫌がる顔を見たい気もしたが、このところ自分が編み物をしている姿を嬉しそうに眺めているのを見ると、そんな意地悪もやめておいてよかったと思う。
 彼の恋人とは、彼に対する想いの深さゆえなのは重々承知だが、一度落ち込ませるとなかなか浮上する事が出来ない厄介な相手なのだ。出来る限り落ち込ませないに限る。
 ──それはともかく。
 では、彼がいったいバレンタインの何に悩んでいるのかというと、一緒に手渡す菓子をなんにするか。そしてどんなタイミングで渡すか、という事だった。
 実際「何をそんなくだらないことを」と彼自身思う内容であるのだが、簡単に解決しないのだから仕方ない。
 先ず第一に、何の菓子をあげるかという事だった。元来、彼は製菓が得手ではない。周囲の菓子名人が手作りの美味しいケーキやらクッキーやらをこさえている横で、自分は凡庸な菓子をあげるというのは、彼の矜持をいたく傷つけるのだ。
 いつもならそんなに気にしないところだろう。他人と比べる事さえ馬鹿らしいと、普段の彼ならば一笑に付すに違いない。
 けれど今年は違う。何故なら、プレゼントが皆同じ手編みのマフラーなのだ。つまりそれは、裏を返せば比較が容易であるという事に他ならない。
 基本的に器用なので、編み物はどうにかなった。というか、マフラーは難易度の低い代物なので多少の手習いをするだけで完成は容易だった。
 だが菓子作りとなるとそうはいかない。
 いっそ有名メーカーのものを買うか、それとも力を尽くして作るか。それが一つ目の悩みだった。
 二つ目、タイミングについては十四日当日に渡せば良いだけ──の筈なのだが、彼には当日朝からそわそわしているだろう恋人が容易に想像できる。
 その様子をいつまでも眺めて焦らし続けたいという意地の悪い思いと、そうして焦らしてしまったら確実にタイミングを逃すうえにだんだん萎れていくだろう恋人も想定の範囲内。線引きの見極めが重要になるのだ。
 そして肝心のバレンタインが近いというのに、ため息ばかり出るのである。
「……はあ」
「隆生?」
 名前を呼びかけられ、彼──隆生はハッとして恋人の顔を見る。そこには心配そうな表情がありありと浮かんでいた。
 昼下がりのテラスに湯気が立ち上る紅茶、そして恋人の焼いたアップルパイ。長い思索の旅から帰った隆生が自分の置かれた状況を思い出す。
 そう、今はティータイムをしていたのだった。 
 どうやら随分と深く思考の海に沈んでいたらしい。一度呼びかけられたのに反応しなかったくらいでこんな心配顔はしないだろうし、恐らく三、四度は呼ばれても返答しなかったのだろう。
 だがここで思惑を気づかれるわけにはいかない。
 何でもない、と隆生は静かに首を横に振る。
「このところ、慣れない作業をしていた所為か少し疲れているらしい」
「ああ……なら、少し休んだほうが」
「大丈夫だから。アウル」
「しかし」
「俺が大丈夫といっているのだけれど?」
 それ以上続けさせないと言わんばかりに、隆生がきっぱりと言い切ると、まるで印籠を出されたかのようにアウルは押し黙る。
 隆生がこういう言い方をした時、余程の事でない限りアウルは反論しない。またそれを判って隆生もそんな言い方を選んだのだ。
「……判った。けれど、辛くなったら」
「勿論、自分の躯は自分が一番良く知っている。無理をするつもりはない」
 にっこり微笑んだ隆生は、これでこの話題は終わったというように、綺麗に切り分けられたアップルパイにフォークをさす。
 丁寧な所作でアップルパイを口内へと運ぶ。さくっとしたパイの心地よい食感と香ばしさ、甘さと酸味の絶妙なバランスの林檎、そこに加わる程よいシナモンの香りと文句の付けようがないほど素晴らしい。
 こんな相手に手作りの菓子をあげて、尚且つ比較されるかもしれない──プライドの高い隆生にとってそれは、やはりどうしても避けねばならない。
「味はどうかな。今日は少し甘みを押さえてみたんだけれど、君の好みに合っているだろうか」
 謙虚に微笑むアウルに、隆生は表面上の笑顔で返す。
「今日のも十分美味しいよ、アウル。流石だね」
 良かった、と安心しているアウルを前にして、隆生はとある決意をする。
 美味しいと有名チョコレートの店を調べ、今年はそこで買うということを。そして今年のバレンタインは23:58分に渡そうと心に決めたのだった。
 ──勿論後者については、アップルパイをこんなにも美味しく作る事の出来るアウルへのやっかみ……もとい、八つ当たり……でもなかった、ちょっとした仕返しである。
「隆生、お茶のおかわりは?」
「貰おうかな」
 暖かい午後の昼下がり。
 一見のどかなティータイムは、まだまだ始まったばかりだった。
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X-Day (4)
「チョッコチョコチョコチョコレート、甘くて美味しいチョコレートっ」
 変声期を終えたばかりと思しき少年──といっても彼の時間は少年のまま永遠に止まっているのだが──が、鼻歌交じりにメロディを口ずさむ。耳心地の良い声ではあるが、歌詞も旋律も即興なので多少調子が外れているのはご愛嬌だろう。
 銀色のボウルを小脇に抱え、カラカラと泡だて器で中の生クリームをかき混ぜる。
 ピン、と角が立つまで混ぜる必要がある生クリームを作るのは、これで結構重労働だったりする。電動ミキサーを使えばあっという間なのだが、彼──焔は手作業で作るのが好きだった。
 洗い立ての白いコックコートに身を包むと、気分はいっぱしの菓子職人だ。一応、仕事としてケーキやらクッキーやらを作っていた過去があるにはある焔だったが、別に調理人の資格を持っているわけではなかったりする。
「なんちゃってパティシェだよなあ、このカッコ」
 コスプレみたいで嫌いじゃないけど、なんて軽口を叩きながら焔は手を動かす。
 ボウルの中は、すっかりクリーム状になっていて、泡だて器を軽く持ち上げると、しっかりと角が立った。ついでに常温で放置しておいたバターに小指の先を沈めて柔らかさを確認する。これならもう作り始めても大丈夫だろう。
 うんうんと出来に満足して頷いた焔は、近くにいた有能アシスタントのイシルを手招きして呼んだ。
「イシル、この生クリームにバニラエッセンス混ぜてから軽く混ぜてラップして冷蔵庫っ」
「うんっ」
 わくわくと好奇心いっぱいの瞳を輝かせたイシルが駆け足で焔に走り寄り、ボウルを受け取ってよい返事で敬礼のポーズをとる。
 身に着けたピンクの花柄エプロンは、焔の恋人である火龍が彼女に似合うと用意したもので、柔らかい色合いがイシルに良く似合っている。女の子らしく長い髪を邪魔にならないよう丁寧にくくったのも火龍だった。
 妹分のイシルは、焔にとって可愛くて仕方がない存在だった。一人っ子だった所為もあって、妹か弟が欲しかった焔にとってイシルはいくら可愛がっても可愛がり足りない。
 バニラエッセンスの入った茶色の小瓶を受け取ったイシルが興味深げにその蓋を開けると、なんともいえない甘い香りが周囲に広がる。
「焔、これ、どれくらい入れればいい?」
「んー、バニラエッセンスは香り付けだからちょこっとだけ。舐めたらダメだぞー、苦いから!」
「はーい」
 再び走っていくイシルを目で追いながら、水色のエプロンを身につけたもう一人の少年が耳を軽くかく。
「……で、俺は何すれば良いんだ」
「和希はこれ、振るっといて。んっと、四回くらい」
 手渡された粉の量を見て、「げっ」と和希が面倒くさそうにつぶやく。
「そんなにやんなきゃいけないのかよ。しかもこれ全部?」
「美味しいミルクレープ食いたいから手伝うって言ったの和希だろー」
「そうだけど」
「なら文句言わないできびきび手を動かすっ」
 腰に両手を当てた焔は和希に向いて、びしっとポーズを決める。
 今日のところは勝てる立場に居ない和希は、不承不承ながらも焔から粉とふるいを受け取っておとなしく台に向かった。
 旧知の仲である和希の性格は良く知っている。なんだかんだ文句を言いつつも真面目に作業してくれるだろうから、粉の事は心配ないだろう。
 今回のバレンタインで焔が作るのは、自信の一品であるミルクレープだった。生クリームをふんだんに使う分、保存が効かないのでこうして前日に作っている。
 ちなみにアシスタントを買って出てくれたイシルは、昨日のうちに焔がレシピを書いたチョコチップクッキーを作成済み。あとはラッピング用品が届くのを待つばかりなのだ。
 明日までに間に合うかと焔は指を折りながら残りの過程を思い浮かた。
「あとは生地を焼いて、ソースはイチゴとカスタードと……トッピングはチョココーティングしたイチゴだなっ」
 そこまで呟いて、焔は忘れ物をしていた事を思い出す。
「あっちゃー。生イチゴ足りないかも」
 ソースを作るイチゴと別に、チョココーティングして飾りつけるイチゴが必要なのだ。正確に言えばトッピングにイチゴを使う事は覚えていたのだが、想定していた以上の数量を、ソースに使ってしまったのだ。
 困り果てた焔は胸の前で腕を組み、「むう」と唸る。
 他のフルーツで代用しても良いが、焔が作りたいのは恋人である火龍が好きだと言ってくれたイチゴとチョコのミルクレープなのだ。
 出会って間もない時に作って、美味しいといってくれたあの笑顔が忘れられない。
「まだ間に合うかなー」
 最後の仕上げに要るものだから材料を今から頼めれば大丈夫だろうけれど、問題は肝心の頼む相手がいつ来るか判らないことだ。
「チョコかマジパンでなにか作るかあ。でも俺工芸菓子はちょっと苦手なんだよなー」
 イチゴは無理だろうかと、諦めかけたそのときだった。
 冷蔵庫の辺りでイシルが歓声に沸く。
「イシル、ラッピング用品を持ってきたよ。これがリボンでこっちが袋。透明のとカラーのがあるから、二重に重ねると綺麗だよ?」
「ありがとうございます!」
 悩んでいる焔には、まさに天の助け。
 ふとそちらに目をやると、そこにいたのは、イシルのラッピング用品を届けにきた、今回の企画の雑用兼使い走り──戒だった。
 仕事前にこちらに立ち寄ってくれたのだろうか、カッターシャツに黒いパンツとジャケット姿の戒に駆け寄った焔は、その細い腰に飛びついた。
「戒さま! イチゴくださいイチゴ!」
「え?」
 何が起きたか事態の把握が出来ない戒に、とりあえず焔は事情を説明する。
 と、心得たとばかりに戒が頷いた。
「うん、わかった。今日中に届けるよ。ブランドはどこでもいい?」
「チョコに合うやつならなんでも!」
「了解。じゃ、頑張ってね」
「はい、ありがとうございました!」
 ぺこりと焔が頭を下げている間に、戒の姿は消えていた。バレンタイン前日、いつもより更に忙しいのだろう。 
「よっし、頑張るぞっ」
 大切な、大好きな人に喜んでもらう為に。
 その人の笑顔が見たい、自分の為に。
「和希ー、粉ふるい終わった?」
「当然」
「さんきゅっ。なら生地焼くかー! 待ってろよ和希、うまーいミルクレープ食わせてやるから」
 ラッピング用品を抱えたイシルが遠くから声をあげる。
「焔、イシルはー?」
「ん、イシルの分も勿論だっ!」
 自分の作るケーキを皆が楽しみにしてくれて、皆が笑ってくれている。
 幸せな気分に浸りながら、焔はクレープ生地を焼く鉄板を取り出した。
愛惜
「来週の水曜日ですか?」
 暦の上では春を迎えたといっても、天気図はまだまだシベリア寒気団が猛威をふるっていて、寒空の下、コート無しで外を歩くのは厳しい二月某日。
 開店準備に忙しなく働いている彼に、私は声をかけた。
 来週の水曜日、店を閉じる事を告げると、彼は片手に包丁の柄を握ったままきょとんとこちらを見上げる。
 捨てられた子犬のようだった彼──戒を拾ったのは、もう随分と昔のような気がする。私の店で働くようになって以来、大抵の調理を彼に任せるようになった。生鮮の仕入れも一任している為、店主である私も当日にならないと今日のお勧め一品が判らない。
 毎日どんな料理がメニューに載るかを楽しみにしているのだけれど、いつだったかそれを本人に言ったところ、苦笑とともに「プレッシャーです」と返されてしまったので、それ以来口にはしていない。
 さて今日はなんだろうと思ってまな板に視線を移すと、上に乗っているのは活きの良いスズキ。恐らくこれからカルパッチョあたりに化けるのだろう。
「随分と急ですね」
 突然の休日告知に彼は暫し目を瞬かせていたが、すぐに途中だった作業を再開し、慣れた手つきでスズキを捌く。
 開店まではあと一時間ほど。仕込みのラストスパートをするのに手を止めていられないとの判断だろう。
「それに珍しいですね。定休日以外にお店を閉じるなんて」
 一応、隔週の火曜日が定休日になってはいるが、実際はあってなきが如し。
 ほぼ毎日開いているようなものだったが、元々道楽の延長で始めた店なので、休みがないのは特に苦にならなかった。
 勿論、彼には週二日の休みを入れているが。
「平日の、それも週の真ん中なら客足も少ないだろうと思ってね。常連様には、一応今から告知をしておこうと思っているよ」
「わかりました。壁にお知らせを貼って……あと、それとなくお客様との話題にも出しますね」
「宜しく頼んだよ」
 いつもながら、給与以上の働きをしてくれていると思う。現在彼の扱いはバイトに過ぎないのだが、やはりいい加減に正社員として正式に雇うべきだろうか。ソムリエの資格を取得した時点で昇給はしたのだが、働きに対しての還元が低いような気がしてならない。
 本人曰く「これでも貰い過ぎです」なのだそうだが。
 大きな曲線を描き独特の美しいフォルムをしたワイングラスを磨きながら、私は感謝も込めて彼に微笑みかけた。
「お休みって、どこかお出かけですか?」
「ああ。懐かしい友人に会いにね」
「良いですね」
 単純に額面どおり受け取ったのだろう。屈託なく微笑み返す彼の笑顔に友人の面影が重なり、私は思わず言葉を失くした。
 今更だが、やはり似ている。
 容貌は友人の方が三割ほどおとなしめだったし、髪の色も質も、瞳の色も違う。だが、彼からかもし出される穏やかな雰囲気が友人の陽だまりような笑みを思い出させるのだ。
 初めの頃は彼と友人を比べてばかりいたのだが、彼らしさを発見するに従いそんな機会もなくなっていった──だから最近はそんな事もなかったというのに。
「水城さん?」
 ふと気づくと、彼がこちらを怪訝そうに見つめていた。
 何でもないように振舞わないと、心中を感づかれてしまうかもしれない。
 そう思った私は自分の辞書から急ぎ無難な解を探し当て、つとめてさりげなく返答した。
「ああ、すまない。水曜日が常連のお客様は何人いたかと数えていたんだよ」
 なんだ、とそれを聞いた彼は私の言を疑いもせず、さもおかしそうにくすくす笑う。
 そうやって私の言葉を寸分の疑いもなく受け入れるところもまた、友人の素直な気性を思い起こさせる。
 何の疑念もしない、曇りのない瞳を目にして微かに胸が痛んだ。
「大丈夫ですよ」
 彼はスズキの皮を剥ぎながら、自信ありげに頷く。
「そのお客様はきっと、火曜か木曜に来て下さるでしょうから」
  


 
 その、水曜当日──黒いコートとスーツに身を包み、身支度を整えた私は、友人に会う為、気心の知れた店員のいる花屋に寄った。
 久しぶりに会う店員に軽く挨拶をし、「いつものを」とだけ言うと、心得たかのように花束を作りはじめる。
 待つ事十数分。カスミソウを中心とした、華美を抑えた可愛らしいブーケが出来上がる。
 代金を支払って店員に礼を言い、私は店を出た。
 目的地は、花屋から徒歩数分の距離にある。
 若干の迷いを胸に抱きつつ『そこ』に辿り着いた私は、寒さに負けて立てていたコートの襟を正した。
「久しぶりだね」
 物言わぬ冷たい友人──墓石に向かって、私は語りかける。
 都内にある小さな寺。そこに友人は眠っていた。
 前回の法要から幾分時間が経っている所為か、風雨にさらされた卒塔婆が幾本か見えた。彼岸前なこともあって、私以外の参拝者は暫く来ていない様子だった。
 ──もっとも、その法要自体に私は一度も参加した事はないのだが。
 腰を折り、手にしていた花束を供える。
 ポップなアレンジの花束は、周囲の花と比べると一見して浮いているように見える。確かに追弔の花といえば一般的に菊が多いが、友人の好きだった花を供えるのがなによりの供養だろうと思い、毎回決まった店で花束を作っていた。
 簡単な掃除を済ませ、改めて墓石に向かい合う。
 何か話したい事があった気がするのだが、いざ面と向かうと言葉が出てこない。
「……今更だ」
 諦観して私は首を横に振った。
 幾ら友人を偲んでも、二度と会うことは叶わない。私をファーストネームで呼んでくれる事はない。
 友人が死に至った間接的要因である自分には、法要に参加する資格も、こうして墓参する資格さえないのかもしれない。
 それでも──
「私は、君に会いたかった」
 この場所が友人と永久の別離を意味すると判っていても、友人の欠片が此処にある。
 そう思うだけで、店を休みにしてでも足を向けずにいられなかった。
 北風にひらり舞う木の葉が、偶然私の手に収まる。
 それは友人の好きだったハナミズキの木の葉で──私の苗字と同じだと言って、屈託なく笑っていた友人の姿がまぶたに浮かぶ。
「ああ……君は、此処にいたのだね」
 手の中の木の葉を、壊れ物を扱うように両の手のひらでそっと包む。
 友人を亡くして流しつくした筈の涙が、一筋だけ頬を伝った。
X-Day (3)
 材料集めにレシピ考案、予約買い付けエトセトラ。
 各々の希望を聞いてまわり、どうにかこうにかではあったが準備を万端に整えた戒は、総仕上げとばかりにバレンタイン前日の今日も走り回る。
 すべては愛する人達の笑顔の為に。


「銀座と日本橋と自由が丘で予約したチョコの受け取りに行ったあと、手作りチームの補助してラッピングの準備か」
 店舗購入希望者は何人だったっけ、と戒は柔らかなソファに腰掛けながら、ぶつぶつと呟きつつ手にしたメモ帳のページをめくった。
 そこには見慣れた仲間達の名前がずらりと並んでいる。これだけの菓子を買うのにかかった費用はかなりのものだったが、義父から預かったカードで事足りた。
 事前清算の為、支払いは既に済んでいる。限度額無制限のカードでの買い物は些か緊張したが、なかなか良い経験になった──毎回店の人に驚かれたが。
 愛情こもった手作りもいいが、相手の好みを一生懸命思案した上でセレクトされたブランドチョコも愛を感じるなあと戒はしみじみ頷いた。
「あ、そういえば神楽のとこに注文してる人もいるんだった」
 パティシェであり洋菓子(たまに和菓子も)店経営者である神楽の店にも取りに行かねばならない。目の回る忙しさだとため息をつきたくなる戒だが、バレンタイン時期における神楽の多忙さを思えば、この程度で音をあげているわけにはいかない。
 ちなみに手作り希望者の為には、既にトリュフ・ケーキ・生チョコレート・クッキー等のあらゆる製菓材料をキッチンに一通りスタンバイ済み。そこに繋がる鍵を全員に配布してあるので、気が早い者はもう行って作り始めているだろう。鍵は戒のもう一人の父である蒼王から授かった物で、望めばすぐそこに転移が可能という便利な代物だ。 
「あとはプレゼントの準備か。皆出来上がったかな」
 今年はプレゼントを統一してみたのだ。なので実は、貰う側は皆広い意味で『おそろい』になる。
 恋人にあげるプレゼント。それは定番中の定番、手編みのマフラーだった。毛糸やデザイン、幅や長さは個人の趣味に任せてある。たとえば戒が編んだのはどんな服にも合わせられるようにと、黒一色のシンプルなものだ。
 皆が皆マフラーをしている姿を想像し、戒はくすりと微笑んで、温かな湯気を昇らせる甘さ控えめのココアに手を伸ばす。
 先ほど義父が「頑張る子にサービスだよ」と言って淹れてくれたのだ。それは戒の好みバッチリの甘さで、疲れた体に程よくしみわたる。
 あまりに忙しいと、自分の疲労具合が判別できないものだ。それを見越してであろう義父のくれたココアでそこそこの疲労を自覚した戒は、タイミング良い差し入れにただただ感謝しつつ、しばし──といっても軽く一時間程度だが、休息を取る事を決めた。
「急がば回れ、っていうしね」
 これを飲んで一息ついたら出かけよう、とまったりティーブレイクを楽しんでいた戒の背後に、ふと気配が顕現する。
「戒」
 いつの間に来ていたのか。声に反応して振り向くと、腰まで届く長い髪を無造作に結い上げた白哉が立っていた。
 着物の上に真白い割烹着を身に着けているところを見ると、既に明日用の物を作り始めているのだろう。調理に邪魔で結っているのだろうが、纏めきれず頬にゆれる後れ髪が妙に艶めかしい。
 珍しい客人の姿に戒は内心首を傾げ、割烹着というこれまた珍しい格好を人前に見せて佇む和風美人を見上げた。
「どうしたの?」
「ブラッドオレンジピールを所望の方がここにいるのだけれど、何処にあるのか判らないそうで」
「ドライフルーツ系は確かガラスの開きに全部入ってるよ。開封済みのものは冷蔵庫の上から二段目かな」
「ありがとう。では、また後程」
 にっこり微笑んでそれだけ言うと、白哉はその場から姿を消す。
 オレンジピールが要るといえば恐らくブランだろう。あどけなさの中に大人の表情を垣間見せる少年、ブラン。彼の最愛の恋人であるメトセラは、ドライフルーツのケーキが好物なのだ。
 ココアを飲み干し、空になったカップをテーブルのソーサーに置いた戒は立ち上がり、水滴で曇った窓ガラスを手で軽く拭う。
 灰色の空からはらりはらりと舞うように雪が降っている。積もることなく、多くは大地へと辿り着く前に消える故に、儚く見える都心の雪。
 掻き消えた白哉の姿と淡雪を重ねてしまうのは、当の本人が良く自らを儚い存在だと口にしていた所為だろうか。
「縁起でもないか。最近の白哉は、大分元気になったしね」
 さてと、と軽く躯を伸ばした戒は、飲み終えたカップとソーサーを流しに置き、ハンガーにかけられていたコートを手にする。
 向かう先は、先ずは日本橋。上手く地下鉄を乗り継げば、そう時間はかからないだろう。
「義父さんは……あ、もう出かけたんだっけ」
 家の鍵を手に、戒は玄関へと向かう。


 先程、一時間ばかり休息をと思ったのは白哉の登場ですっかり忘れてしまったようだった。
X-Day (2)
 とりあえず、空いている時間にさくさくと事を進めなければならない。
 何故なら彼にはバーテンダーという本来の仕事があり、そちらを疎かにするつもりは毛頭ない。オーナーであるマスターに事情を話せば恐らく休日を融通してもらえるだろう。が、それを甘えだと思っている彼としては、出来る限り本職に影響が出ないよう、頑張って動くだけだった。


「さてと。先ずは誰のところに行こうかな」
 ふう、とため息をついた戒は、仲間達の顔を思い浮かべ、効率よく回る順を思案する。
 代々木にある、モダンな雰囲気の一軒家。義父の所有する物件の一つであるそこが、戒の現住居だった。
 店を出た時にはまだ暗かったのに、今はもうカーテンの隙間からまばゆい光が差し込んで、居間を温めている。
 時刻は朝の七時を回っていた。
 バーテンダーとしての仕事を終え、本来ならばこれから軽く食事を取ってから睡眠、というのが普段の生活サイクルなのだが、時間を削るとしたらやはりここしかないだろう。
 フライパンを片手に持ち、朝食にとスクランブルエッグを作っていた戒の背中に、義父の優しげな声がかけられる。
「戒。頑張るのは良いけれど、無理はしないように」
「判ってるって義父さん。無茶はしないようにする」
 やれやれ、と義父のわざとらしいため息が背中越しに聞こえる。
「そう言いながら無理をするからね、うちの息子は。もし倒れたりしたら、かえって周囲に迷惑も心配もかけるって判ってるね?」
 義父とは言っても、二人の年は兄弟ほどしか違わない。戒の保護者として戸籍上「義父」となっただけなのだが、すっかり『義父さん』呼びに慣れてしまった戒である。
 また、呼ばれるほうも悪い気はしていないらしく、何かと戒の世話を焼いているのだ。
 友達のようで、親子のようで、兄弟のようで。だからこそ、にっこり笑顔で釘もさせる。この義父は無茶をしがちな戒の性格もまたよく把握していた。
「……肝に銘じておく」
 ぐっさりと痛いところに釘をさされた戒は苦笑しつつ、出来上がったふわふわのスクランブルエッグを白いランチプレートに盛っていく。
 ラディッシュやオニオン、レタスにパプリカ等、色とりどりの野菜に自家製ドレッシングをかけたサラダ。それからスクランブルエッグにハムとチーズのホットサンド。マスターからのおすそ分けであるブルマン豆をひいた琥珀色の珈琲が、本日の朝食だった。
 既にテーブルについていた義父の席にランチマットを敷き、そのうえにプレートと食器、珈琲を並べる。
「はい、義父さん」
「ありがとう、いただくよ」
 身に着けていた黒いシンプルなエプロンを取り、戒は自らも席に着く。フォークを手にして先ずは一口、サラダを口に運ぶ。ドレッシングにオレンジの皮を摩り下ろしたものを入れた試みはどうやら成功のようだ。
「で、戒。誰のところから行くんだ?」
「うん……まだ考え中。無難に、リュウあたりから行くかな。先ずは蒼溟殿内から攻めてくのが良いかと思って」
「そうだな。あとは、一応使いを出したほうが良いんじゃないのか? いきなり行ってもすぐに希望が出るとは限らないし」
「あ、そっか。何が欲しいかあらかじめ考えておいてもらったほうが良いってことだよね」
「そういうこと。だから今日のところは寝なさい、戒」
「え?」
「しっかり準備してから行動に移すのと、ろくに準備もなく行動に移すのとじゃ、体力の減りがまったく違う。戒、君は今、自分が『人間』だっていうことを忘れてはいけないよ。しっかり眠って英気を養うのも大事なことだからね」
 論理だてて説明されれば、戒としてはぐうの音も出ない。
 確かに、明日から行動を移すと思えば今日はしっかり睡眠をとって仕事も無理しない心構えが出来る。
 が、昨日はお茶会から帰ってそのまま仕事に行った為、どちらかというと寝不足気味。おまけに昨夜は土曜の夜。つまり一週間を通して最も店が混む日で、正直なところを言えばかなり疲労がたまっていた。
「お見通しみたいだね」
 戒の事だからね、と義父は嬉しそうに口元をほころばせる。
「連絡くらい椎奈達にさせるといい。その代わり、明日からしっかり頑張るんだよ」
「……はい、義父さん」
 素直に微笑んで戒は頭を下げる。
 ご褒美とでもいうように義父の大きな手が優しく髪を撫でるのを、戒は心地よく感じていた。 
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