日記 + 最新小説保管 / 創作・版権二次創作 / 同性愛要素、性表現含
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戒 ──内面(1)
水浸しの部屋に、びしょ濡れの髪と服。
そんな幻覚。
水は全部、自分の流した涙。流れて流れて、枯れ果ててしまえばいいのに。体中の水分が枯渇してしまえば、涙もいい加減止まってくれるのに。
どうせ幻覚ならもっと冷たい水ならいいのに。息も出来ないほど、喉の奥まで流れ込んで息の根を止めてくれればいいのに。
そんなことをしても意味が無いことくらいわかってる。
胸を抉れた様な、頭と躯が切り離されたような、痛みを感じていると言う事実だけを脳で理解して感覚がついてこない。
痛い。体が動かない。息が出来ない。どうして生きているのかわからない。光が見えない。何かを失ったということが判って、でもその何かがわからなくて、もしかしたら全部なのかもしれない。心も、温度も、生きる意味も、生きている実感も。
彼との部屋を出た時、俺を埋めていた感覚はそんなものだろう。
離してはいけなかった。何があってもあの手を離してはいけなかった。
けれど、繋いでいた筈の手がどんどん痺れて、針を刺すような痛みを感じないくらい麻痺していって。何の為にここにいるのか判らなかった。愛している、と口に出していただけのような気さえする。そこに本当に、感情はこもっていたんだろうか。
愛してると言う度に耳鳴りがして、自分が偽者になっていく気がした。確かに愛している筈なのに。筈、なのに。
憎んでいたのは彼以外の全て。大切で、だからこそ放り投げられないことを憎んで。
彼に対しては──愛して欲しかった。愛していると教えて欲しかった。言葉じゃなく、躯でもなく、ならなんだと言われてしまいそうだが。判らせて欲しかった。愛されているんだと。
別れの台詞を吐いても、止めてくれると思った。本当は引き止めてくれると、あの瞬間心のどこかで思っていた。どんなに言い争っても、最後は自分の手を取っていてくれると甘えていた。
今まで、彼との諍いで何があっても彼が離れようとしても俺が手を離さなかったように。
けれどそれがなかったとき、彼も限界だったんだと悟った。
そこで訂正できない、手をもう一度伸ばせない俺も限界だったんだと悟った。
そもそも、自分から別れようと言えてしまった時点で限界だった。
死にたかった。死ねなかった。こんなときまで周囲を気にする自分が愚かしかった。いっそ狂ってしまえばいいのに、楽だったのに。二の舞、箱庭、そんなキーワードが脳を巡るたびに、自らの消去を踏みとどまった。
消えたかった。消えられなかった。
否、死んではいけないと、消えてはいけないと思っていた。
ぼろ雑巾のような俺を助けてくれた人は、眠るのも手段だと言った。けれど、時間を止めることの方が俺は恐ろしい。成長する事も出来ず、何よりこの感情を抱えたまま時間を止めるなんて出来ない。誰のためでもない。自分が怖い。体中の血が流れているまま時間が止まっても、動き出したそのときに血が止まっているなんて考えられない。
彼にも言われた時、俺は死んだほうがいいのかと思った。俺が生きていること自体が彼の傷を癒す雑音にしかなり得ないのかと。だから、眠ることを薦めてくれるのかと。穿った見方しか出来ない自分にも嫌気が差したが、プラスの思考にはなれなかった。
心配してくれる人も、気遣ってくれる人も、護ってくれる人も、場所をくれる人も、愛情をくれる人もいた。
感謝してもしきれない。
けれど、暫くの間、時間だけが、真に俺の味方だった。
そんな幻覚。
水は全部、自分の流した涙。流れて流れて、枯れ果ててしまえばいいのに。体中の水分が枯渇してしまえば、涙もいい加減止まってくれるのに。
どうせ幻覚ならもっと冷たい水ならいいのに。息も出来ないほど、喉の奥まで流れ込んで息の根を止めてくれればいいのに。
そんなことをしても意味が無いことくらいわかってる。
胸を抉れた様な、頭と躯が切り離されたような、痛みを感じていると言う事実だけを脳で理解して感覚がついてこない。
痛い。体が動かない。息が出来ない。どうして生きているのかわからない。光が見えない。何かを失ったということが判って、でもその何かがわからなくて、もしかしたら全部なのかもしれない。心も、温度も、生きる意味も、生きている実感も。
彼との部屋を出た時、俺を埋めていた感覚はそんなものだろう。
離してはいけなかった。何があってもあの手を離してはいけなかった。
けれど、繋いでいた筈の手がどんどん痺れて、針を刺すような痛みを感じないくらい麻痺していって。何の為にここにいるのか判らなかった。愛している、と口に出していただけのような気さえする。そこに本当に、感情はこもっていたんだろうか。
愛してると言う度に耳鳴りがして、自分が偽者になっていく気がした。確かに愛している筈なのに。筈、なのに。
憎んでいたのは彼以外の全て。大切で、だからこそ放り投げられないことを憎んで。
彼に対しては──愛して欲しかった。愛していると教えて欲しかった。言葉じゃなく、躯でもなく、ならなんだと言われてしまいそうだが。判らせて欲しかった。愛されているんだと。
別れの台詞を吐いても、止めてくれると思った。本当は引き止めてくれると、あの瞬間心のどこかで思っていた。どんなに言い争っても、最後は自分の手を取っていてくれると甘えていた。
今まで、彼との諍いで何があっても彼が離れようとしても俺が手を離さなかったように。
けれどそれがなかったとき、彼も限界だったんだと悟った。
そこで訂正できない、手をもう一度伸ばせない俺も限界だったんだと悟った。
そもそも、自分から別れようと言えてしまった時点で限界だった。
死にたかった。死ねなかった。こんなときまで周囲を気にする自分が愚かしかった。いっそ狂ってしまえばいいのに、楽だったのに。二の舞、箱庭、そんなキーワードが脳を巡るたびに、自らの消去を踏みとどまった。
消えたかった。消えられなかった。
否、死んではいけないと、消えてはいけないと思っていた。
ぼろ雑巾のような俺を助けてくれた人は、眠るのも手段だと言った。けれど、時間を止めることの方が俺は恐ろしい。成長する事も出来ず、何よりこの感情を抱えたまま時間を止めるなんて出来ない。誰のためでもない。自分が怖い。体中の血が流れているまま時間が止まっても、動き出したそのときに血が止まっているなんて考えられない。
彼にも言われた時、俺は死んだほうがいいのかと思った。俺が生きていること自体が彼の傷を癒す雑音にしかなり得ないのかと。だから、眠ることを薦めてくれるのかと。穿った見方しか出来ない自分にも嫌気が差したが、プラスの思考にはなれなかった。
心配してくれる人も、気遣ってくれる人も、護ってくれる人も、場所をくれる人も、愛情をくれる人もいた。
感謝してもしきれない。
けれど、暫くの間、時間だけが、真に俺の味方だった。
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ハワード×エレメス
部屋に閉じこもり、瞑想をする時間は俺にとって自己を振り返る大切な時間だった。初めのうちは心配をしていたらしい周囲も、今では放っておいてくれる。理解ある仲間とは良いものだ。
「さて……」
ベッドに腰掛け、座禅を組む。このような躯になる以前、薄らと記憶している風景の中で、桜舞う茣蓙の上ではこうして座るのだということを誰かに教えてもらったような気がする。
博識なカトリーヌ曰く、天津という地方独特の座り方らしい。座り方ひとつでも己の記憶の片鱗かと思うと、胸の空洞が少しでも埋まる心地がして、瞑想の時は必ずこうして座禅を組むのだ。
「……」
俺は瞳を閉じ、ここ数日の悩みの種について思い巡らせた。
──今日のテーマはとある人物について、だ。
気に食わない、と言ってしまえばそれまでの相手。それだけの相手。
同じ場に囚われし仲間である以上、どうしても視界に入れざるを得ない──そう思ってきた。
だが違うのだ。それだけではない。存在を無視できず、いつの間にか我知らず視線が奴を追ってしまう。己の精神修行が足りない、と無駄な言い訳を試みること二桁に及ぶが、無論納得など出来たためしがない。
誇り高き暗殺者らしくもない、この悪あがきに反吐が出る。
「エレメスっ。なあなあなあエレメスぅ~」
耳に心地良い低音の声音も、皆を和ませるその話術も、天真爛漫な笑顔も俺が持ち得ないものだった。
「聞こえてるんだろ? エーレーメースー」
闇は光を恐れ、また同時に羨み欲すると言う。ならば俺が奴を目で追ってしまうのは、自然の摂理なのか。闇に属するこの俺にとって、奴は光たる存在なのか。
「なあって。瞑想中?」
『判っているなら邪魔をしないで貰いたい俺はお前のことで悩んでいるんだ』とその当人であるところのハワード=アルトアイゼンの声に、俺は瞳を閉じたままこめかみをひくつかせる。
先程までは多少なりとも褒めていた相手の評価は、カトリーヌのストームガストを浴びるが如く急に冷え冷えと降下していく。マーガレッタは一緒にいないのか。いれば聡明な彼女の事、俺の心情を察しディビーナをかけてくれるものを。
それにしても人が考えている時くらい自重できないのかこの男は。ましてやここは俺の部屋であり、いつの間に侵入してきたのだ鍵がかかっていた筈なのだがと思ってみるも、優秀な鍛冶師である奴の手によれば錠前を外す等朝飯前だろう。
プライバシーの侵害ではあるが、こうして部屋に侵入されるのも最早日常茶飯時と化していて一々目くじらを立てる気になれない。
慣れとは恐ろしいものだ、全く。尤もこの俺とていつまでも変わらぬままではない。多少の雑音など一切排除して瞑想に耽ることくらいは可能だ。毎回そう邪魔が出来ると思うなよ、ハワード。
「んじゃ、この俺のスーパーテクで目覚めさせてヤる」
馬鹿馬鹿しい、と思ったのも束の間奴の体温が背中越しに伝わってくる。
「……」
「あれ、反応ねえ。ふふん、どこまで我慢がきくかな」
こちらは瞳を閉じている分、気配だけが頼りだ。相手が何をしているのか、何をしようとしているのか予測がつけばある程度反応を抑えることが出来る。
今のところ、後ろから抱きついたり背中に寄りかかられたり、手をとられて上下に振られたり頬を撫でられたりと、さしたる被害は無い。
フン、何がスーパーテクだ。この程度、貴様のお陰で培われた集中力をもってすればどうという事は無い。諦めてさっさと部屋を去れ。
「……」
「おんや。我慢強くなったもんだなあ……じゃあこれは?」
それまでさほど間近に感じていなかった奴の気配が一気に近づく。
何をされるかわかったものではないので、俺はいつでもクローキング出来るよう身構えた。
「エレメス。好きだぜ」
奴の声音が艶を帯びたかと思うと、俺の鼓膜を響かせるかのように耳元で囁いたのだ。
「……っ」
思わず声を上げ反応しそうになるのを、全身に力を込めて何とか抑える。
だが、それが大きな間違いだった。ここは即クローキングするべきだったのだ。
「いいぜ、そのまま瞳を閉じてろ。開けたらお前の負け。口を開いても、お前の負け。……俺に屈したって認めろよ?」
奴の舌が俺の耳を這い、淫猥な水音を立て始めた。同時に奴の指が俺の顎を撫で、首筋を伝う。
子供騙しの挑発等スルーして瞳を開けろともう一人の冷静な俺が囁く。もう一方ではこの程度の悪戯を凌げなくてどうすると叱咤する俺もいる。だが今の俺を占める感情としてはごく少数に当たる。
その殆どを占める感情は──
「ふふふん。声を出さない、瞳を開けないってのは守れてるな。けど、無言で主張してるお前のココを弄ったら……お前はどうなるかな。なあ? エレメス」
この状況を少しでも愉しみ、この時間が少しでも長く続くことを望み、この感覚を熱を快楽をもっともっともっともっと──
「……なわけあるかっ!」
「はーいエレメス口きいた。お前の負けー。ってことで俺の言うことなんか一個聞くように!」
怒りに任せて瞳を開けると、奴は鬼の首でも取ったように天真爛漫な笑顔で万歳三唱をしている。
「誰がいつそんな事を約束した。お前が勝手に決めたことだろう、ハワード」
ちっちっちっ、と奴は人差し指を立てて横に振る。
「沈黙は了解の証」
「俺は瞑想をしていたんだ。無効に決まっている」
「えー」
「えー、じゃない」
幼子のように口を尖らせてぶーぶーと文句を言うハワードの姿を見ていると、とてもではないがさっきまでの艶めいた声音の持ち主と同一人物とは思えない。
思わず苦笑を漏らした俺は、やめておけばいいものを、つい質問してしまった。
「……で、俺に何をさせるつもりだったんだ」
「ん?」
「何でも言うことを聞く、筈だったのだろう?」
「ああ」
にこやかに微笑んだ奴は、俺の下肢に手を伸ばした。
「そりゃー一発お願いに決まってる」
「いっぺん死んで来い!」
──ハワード以外の鍛冶師、是非この生体研究所の三階まで来い。他の皆がいるときは無理だが、俺単独で見つけたなら命は助けてやる。その代わり、こいつでも開けられない鍵を作ってくれ。
「さて……」
ベッドに腰掛け、座禅を組む。このような躯になる以前、薄らと記憶している風景の中で、桜舞う茣蓙の上ではこうして座るのだということを誰かに教えてもらったような気がする。
博識なカトリーヌ曰く、天津という地方独特の座り方らしい。座り方ひとつでも己の記憶の片鱗かと思うと、胸の空洞が少しでも埋まる心地がして、瞑想の時は必ずこうして座禅を組むのだ。
「……」
俺は瞳を閉じ、ここ数日の悩みの種について思い巡らせた。
──今日のテーマはとある人物について、だ。
気に食わない、と言ってしまえばそれまでの相手。それだけの相手。
同じ場に囚われし仲間である以上、どうしても視界に入れざるを得ない──そう思ってきた。
だが違うのだ。それだけではない。存在を無視できず、いつの間にか我知らず視線が奴を追ってしまう。己の精神修行が足りない、と無駄な言い訳を試みること二桁に及ぶが、無論納得など出来たためしがない。
誇り高き暗殺者らしくもない、この悪あがきに反吐が出る。
「エレメスっ。なあなあなあエレメスぅ~」
耳に心地良い低音の声音も、皆を和ませるその話術も、天真爛漫な笑顔も俺が持ち得ないものだった。
「聞こえてるんだろ? エーレーメースー」
闇は光を恐れ、また同時に羨み欲すると言う。ならば俺が奴を目で追ってしまうのは、自然の摂理なのか。闇に属するこの俺にとって、奴は光たる存在なのか。
「なあって。瞑想中?」
『判っているなら邪魔をしないで貰いたい俺はお前のことで悩んでいるんだ』とその当人であるところのハワード=アルトアイゼンの声に、俺は瞳を閉じたままこめかみをひくつかせる。
先程までは多少なりとも褒めていた相手の評価は、カトリーヌのストームガストを浴びるが如く急に冷え冷えと降下していく。マーガレッタは一緒にいないのか。いれば聡明な彼女の事、俺の心情を察しディビーナをかけてくれるものを。
それにしても人が考えている時くらい自重できないのかこの男は。ましてやここは俺の部屋であり、いつの間に侵入してきたのだ鍵がかかっていた筈なのだがと思ってみるも、優秀な鍛冶師である奴の手によれば錠前を外す等朝飯前だろう。
プライバシーの侵害ではあるが、こうして部屋に侵入されるのも最早日常茶飯時と化していて一々目くじらを立てる気になれない。
慣れとは恐ろしいものだ、全く。尤もこの俺とていつまでも変わらぬままではない。多少の雑音など一切排除して瞑想に耽ることくらいは可能だ。毎回そう邪魔が出来ると思うなよ、ハワード。
「んじゃ、この俺のスーパーテクで目覚めさせてヤる」
馬鹿馬鹿しい、と思ったのも束の間奴の体温が背中越しに伝わってくる。
「……」
「あれ、反応ねえ。ふふん、どこまで我慢がきくかな」
こちらは瞳を閉じている分、気配だけが頼りだ。相手が何をしているのか、何をしようとしているのか予測がつけばある程度反応を抑えることが出来る。
今のところ、後ろから抱きついたり背中に寄りかかられたり、手をとられて上下に振られたり頬を撫でられたりと、さしたる被害は無い。
フン、何がスーパーテクだ。この程度、貴様のお陰で培われた集中力をもってすればどうという事は無い。諦めてさっさと部屋を去れ。
「……」
「おんや。我慢強くなったもんだなあ……じゃあこれは?」
それまでさほど間近に感じていなかった奴の気配が一気に近づく。
何をされるかわかったものではないので、俺はいつでもクローキング出来るよう身構えた。
「エレメス。好きだぜ」
奴の声音が艶を帯びたかと思うと、俺の鼓膜を響かせるかのように耳元で囁いたのだ。
「……っ」
思わず声を上げ反応しそうになるのを、全身に力を込めて何とか抑える。
だが、それが大きな間違いだった。ここは即クローキングするべきだったのだ。
「いいぜ、そのまま瞳を閉じてろ。開けたらお前の負け。口を開いても、お前の負け。……俺に屈したって認めろよ?」
奴の舌が俺の耳を這い、淫猥な水音を立て始めた。同時に奴の指が俺の顎を撫で、首筋を伝う。
子供騙しの挑発等スルーして瞳を開けろともう一人の冷静な俺が囁く。もう一方ではこの程度の悪戯を凌げなくてどうすると叱咤する俺もいる。だが今の俺を占める感情としてはごく少数に当たる。
その殆どを占める感情は──
「ふふふん。声を出さない、瞳を開けないってのは守れてるな。けど、無言で主張してるお前のココを弄ったら……お前はどうなるかな。なあ? エレメス」
この状況を少しでも愉しみ、この時間が少しでも長く続くことを望み、この感覚を熱を快楽をもっともっともっともっと──
「……なわけあるかっ!」
「はーいエレメス口きいた。お前の負けー。ってことで俺の言うことなんか一個聞くように!」
怒りに任せて瞳を開けると、奴は鬼の首でも取ったように天真爛漫な笑顔で万歳三唱をしている。
「誰がいつそんな事を約束した。お前が勝手に決めたことだろう、ハワード」
ちっちっちっ、と奴は人差し指を立てて横に振る。
「沈黙は了解の証」
「俺は瞑想をしていたんだ。無効に決まっている」
「えー」
「えー、じゃない」
幼子のように口を尖らせてぶーぶーと文句を言うハワードの姿を見ていると、とてもではないがさっきまでの艶めいた声音の持ち主と同一人物とは思えない。
思わず苦笑を漏らした俺は、やめておけばいいものを、つい質問してしまった。
「……で、俺に何をさせるつもりだったんだ」
「ん?」
「何でも言うことを聞く、筈だったのだろう?」
「ああ」
にこやかに微笑んだ奴は、俺の下肢に手を伸ばした。
「そりゃー一発お願いに決まってる」
「いっぺん死んで来い!」
──ハワード以外の鍛冶師、是非この生体研究所の三階まで来い。他の皆がいるときは無理だが、俺単独で見つけたなら命は助けてやる。その代わり、こいつでも開けられない鍵を作ってくれ。
GvG話 ハイプリ&アルケミ(♂&♀) (1-6)
──さようならとバイバイって、どこか似てるけど違うよね
プロンテラ大聖堂の裏には、小規模な墓地がある。ここには主に大聖堂に勤めていた身寄りの無い者や、生前希望があった者、また身内から希望のあった者が眠っている。首都の端にある事も手伝って、首都通りの喧騒もここまでは届かず、風が吹けば葉ずれの音さえ耳に届きそうな、そんな穏やかな場所だ。
春の暖かな陽射しの下、立ち並ぶ墓石の一角に佇む白い影があった。金糸の刺繍が施された聖なる衣装に身を包んだ彼の姿を見れば、誰もがハイプリーストだと判るだろう。
だが彼の表情は硬く、唇は引き結ばれ、握られた拳は微かに震えて、懸命に何かを堪えている様に見えた。
「ごめん、アリア。俺はまだ泣けない」
彼の脳裏に、陽だまりのように温かな彼女──アリアの笑顔が浮かぶ。戦いを厭い、それでも彼の為だけに製薬をしようとアルケミストの道を目指し、穏やかに穏やかに生きていた。彼もそんなアリアをこよなく愛していた。
だがいつしか彼が攻城戦に没頭し、アリアの顔に寂寥の色が濃く浮かぶようになった事に、彼は気づけなかった。戦いに熱くなる、それは若さとも熱病ともいってしまえばそれまでなのだが、その代償はあまりに大きかった。
そうして迎えてしまった「あの日」のことを思い出し、彼は唇を紅く滲ませる。
「……必ず、仇は取る。君が望んでいなくても」
墓石に向かって呟いた彼の瞳は、復讐の色に染まっていた。
『Key(キィ)さん、今どこですか?』
唐突に耳に届いたギルドメンバーの声に、彼──Keyの意識は現実へと引き戻される。後輩プリーストでもある桐史(きりし)からのWisだった。
小さく一呼吸してから心拍を整え、Keyは返事する。
『プロにいるよ』
『そうですか。実はちょっと相談したいことがあるんですけど……』
『今?』
『あ、今忙しいなら別に後でも』
『いや、大丈夫。そうだな、溜まり場じゃなんだから、うちにおいで。家は知ってるよね』
『いいんですか?』
『ああ。他の人がいたら話しにくいだろ? じゃ、待ってるよ』
『ありがとうございます、それじゃ十分後くらいに伺います』
会話を終えてKeyは、小さく息を吐く。
あの調子ではこちらの様子には気づいていないだろう。
「……また来るよ、アリア」
愛しげな眼差しで墓石に語りかけてから、普段の「話しやすい相談役」の顔に戻ったKeyは、ポケットからブルージェムストーンを取り出す。
可愛い後輩の悩み相談を聞く為、Keyは自宅前にメモを取ってあるワープポータルを開いた。
プロンテラ大聖堂の裏には、小規模な墓地がある。ここには主に大聖堂に勤めていた身寄りの無い者や、生前希望があった者、また身内から希望のあった者が眠っている。首都の端にある事も手伝って、首都通りの喧騒もここまでは届かず、風が吹けば葉ずれの音さえ耳に届きそうな、そんな穏やかな場所だ。
春の暖かな陽射しの下、立ち並ぶ墓石の一角に佇む白い影があった。金糸の刺繍が施された聖なる衣装に身を包んだ彼の姿を見れば、誰もがハイプリーストだと判るだろう。
だが彼の表情は硬く、唇は引き結ばれ、握られた拳は微かに震えて、懸命に何かを堪えている様に見えた。
「ごめん、アリア。俺はまだ泣けない」
彼の脳裏に、陽だまりのように温かな彼女──アリアの笑顔が浮かぶ。戦いを厭い、それでも彼の為だけに製薬をしようとアルケミストの道を目指し、穏やかに穏やかに生きていた。彼もそんなアリアをこよなく愛していた。
だがいつしか彼が攻城戦に没頭し、アリアの顔に寂寥の色が濃く浮かぶようになった事に、彼は気づけなかった。戦いに熱くなる、それは若さとも熱病ともいってしまえばそれまでなのだが、その代償はあまりに大きかった。
そうして迎えてしまった「あの日」のことを思い出し、彼は唇を紅く滲ませる。
「……必ず、仇は取る。君が望んでいなくても」
墓石に向かって呟いた彼の瞳は、復讐の色に染まっていた。
『Key(キィ)さん、今どこですか?』
唐突に耳に届いたギルドメンバーの声に、彼──Keyの意識は現実へと引き戻される。後輩プリーストでもある桐史(きりし)からのWisだった。
小さく一呼吸してから心拍を整え、Keyは返事する。
『プロにいるよ』
『そうですか。実はちょっと相談したいことがあるんですけど……』
『今?』
『あ、今忙しいなら別に後でも』
『いや、大丈夫。そうだな、溜まり場じゃなんだから、うちにおいで。家は知ってるよね』
『いいんですか?』
『ああ。他の人がいたら話しにくいだろ? じゃ、待ってるよ』
『ありがとうございます、それじゃ十分後くらいに伺います』
会話を終えてKeyは、小さく息を吐く。
あの調子ではこちらの様子には気づいていないだろう。
「……また来るよ、アリア」
愛しげな眼差しで墓石に語りかけてから、普段の「話しやすい相談役」の顔に戻ったKeyは、ポケットからブルージェムストーンを取り出す。
可愛い後輩の悩み相談を聞く為、Keyは自宅前にメモを取ってあるワープポータルを開いた。
椎奈 独白
ひらりはらり、深海に降り積もる純白の雪、マリンスノー。
一見美しい字面と響きを持つこの現象の正体は、海中に漂う微生物達の屍。誰に知られる事もなく逝った屍は、その灯火が消えた悲鳴さえないままに海底へ積もり、やがて母なる惑星へと還って往く。新たなる命を育む為に。
それは初めから決まっていたこと。命が生まれ、育まれ、そして此処に辿り着くその回帰。
人の想いもまた、似通っている。想いが生まれ、育まれ。ただ、その先にあるものが屍か、はたまた異なる何かか、そこだけが異なる。
だが悲しむ事は無い。屍となった想いは、いずれ己の養分となり、新たな思いを育む源となるのだ。また、そうしなければ人という弱い生き物は生きていけない。
──だから屍の喪に服す事は無い。心の深海に降る白い涙は、当の昔に命を喪っているのだから。
一見美しい字面と響きを持つこの現象の正体は、海中に漂う微生物達の屍。誰に知られる事もなく逝った屍は、その灯火が消えた悲鳴さえないままに海底へ積もり、やがて母なる惑星へと還って往く。新たなる命を育む為に。
それは初めから決まっていたこと。命が生まれ、育まれ、そして此処に辿り着くその回帰。
人の想いもまた、似通っている。想いが生まれ、育まれ。ただ、その先にあるものが屍か、はたまた異なる何かか、そこだけが異なる。
だが悲しむ事は無い。屍となった想いは、いずれ己の養分となり、新たな思いを育む源となるのだ。また、そうしなければ人という弱い生き物は生きていけない。
──だから屍の喪に服す事は無い。心の深海に降る白い涙は、当の昔に命を喪っているのだから。
BS×女装ダンサー+ケミ (♂×♂)
世には、箱から産出される──というより、箱からしか産出されない装備品というものがある。そのうちの一つがバルーンハットと呼ばれる、性能も見目も良い一品だった。
滅多に拝めることが出来ないこと、性能の良さ、可愛らしさの三拍子揃っている為相場は中々の値となっている。
能書きはいい、本題に入ろう。
……そのバルーンハットが此処にあるんだが、どうしたものだろうか。
プロンテラ、中央噴水前。昼をいくばくか過ぎた通りは人も多く活気がある。
昼飯を食い終わり、露店の準備をしていた俺の耳に、話しかけてくる声と鳥の鳴き声が聞こえた。
「どうしたんだ? ディオ。そんな神妙な顔してカート見つめて。中に見ちゃいけないものでも入ってたとか?」
「ぴるるるる」
振り向いたそこに居たのは、良く近くで露店を出すアルケミスト、白狼。彼の供であるフィーリルの蒼天も一緒だった。
我ながら人好きのすると思えない仏頂面で返答するのにも関わらず、気さくに話しかけてくる。正直な話はじめは鬱陶しかったのだが、商人同士のパイプを繋ぐ意味でも親しくして損はないだろうと、この程度の会話はする間柄となった。
クラウディオというのが俺の本名なのだが、それを略し、ディオと呼ぶ。嫌な気はしないのでそのまま呼ばせている。
「俺が先日、箱を開けたのを覚えているか。その時バルーンハットを出しただろう」
「ああ、見た見た。先週だっけ。そのあと露店に並べてたよな。相場よりちょい安値で出して所為か、あっさり売れててさ。財布潤っていいなあって思っ……」
話しながら白狼が俺のカートを覗き見、言葉を止める。そこには燦然と輝く、今しがたの話題の中では売れた筈のバルーンハット。
ぎぎいっと機械的な首の動きで白狼は俺を見上げる。
「……売れてなかったっけ、バルーン」
「ああ、前のはな」
「これは?」
カートの中をつん、と白狼が突付く。一旦は白狼の指の跡を残したバルーンハットは、その弾力ですぐに元の形状を取り戻した。
「今日、開けたらこれが出た」
「また?」
「ああ」
言葉を失った白狼に、俺は頷いて答える。
「これをどうしたものかと思ってな」
確かに高性能なのは解っているが、その性能はBSには意味がない。
趣味装備として被っている同職も居るが、可愛らしいものを装備する趣味は俺にはない。現に今、頭に載せているのはモルデンc挿し月桂樹の冠だ。これも人によっては可愛らしいと思うかもしれないが、製造BSである俺にとってLukが上がる重要性を鑑みた結果に過ぎない。
「被ればいいじゃないか。似合うぜ?」
「……そういう冗談は好きではない」
「冗談じゃないんだけどな。なら、素直に売ればいいさ。折角高値なんだし、どんどん値下がってきてるから売るなら今だぜ? 不良在庫になる前に、露店に出すのがいい」
「お前の相場の読みは当たるからな」
このアルケミストと懇意にしている理由の一つに、白狼の相場読み能力がある。彼の持つその先読みの感覚、特に武器製造や製造材料の買い取り価格等で幾度か助けられていた。
「それか、意中の子にでもあげるとか」
「意中?」
言葉の意味を理解できず、俺は白狼に問い返す。
「貢物としちゃ、なかなかのレベルだろ」
「……馬鹿を言え。相手もいない人間に」
「ランカーBSとお近づきになりたいような輩はごめん、だもんな」
「そういう事だ」
憂鬱げにそう言うと、白狼は苦笑して俺の肩を叩き、隣で露店の準備を始めた。
実際、ランカーという言葉だけで寄ってくるような人間ならば掃いて捨てる程居たが、鬱陶しいだけで相手にしない事が殆どだった。
ふう、と息を吐いて空を見上げる。ふと気がつくといつからそこにいたのか、一人のダンサーが俺のカートをじっと覗き見ていた。
年の頃は二十歳前後といったところか。中性的な雰囲気を醸し出している。随分と容貌の整っているそのダンサーは、衣装をアレンジしているのか、下肢の部分がジプシーの衣装の丈を短くしたような見目になっている。
「……なんだ」
「別に」
アルトなトーンで不機嫌そうに答えるダンサーの視線は、バルーンハットに注視されている。
「……悪いが、これは売り物じゃない」
「なんでっ! カートに入ってるのに!」
「これは今処遇を悩んでいる品なので、カートに入れているだけだ」
そもそもカートに入れているイコール売り物とは限らないとも思ったのだが、噛みつかんばかりの相手の様子に説明を省く。
「ならボクに売ってよ」
その人称に、俺は引っかかりを覚える。女性でもたまに使う人間はいるが、目の前のダンサーはどちらとも解らない。女性にしては凹凸がないし、男性にしては華奢だった。最近では女装のダンサーもいると聞く。
ただ、美しかった。改めてそのいでたちを眺めると、均整の取れた躯にすらりと長い四肢。何より印象的な、強い意思の宿った瞳とまっすぐな視線。男女という境界をつけることすら厭わしく思えてくる。
「これが欲しいのか」
「そうだよ! この白玉団子が欲しいの!」
「……」
俺は思わず言葉を失った。
未だかつて、バルーンハットをそう呼ぶ者を知らない。
いや、もしかしたならそう形容している人間は他にもいるかもしれないが、俺にとってその呼称は衝撃的だった。特に見目の整った人間の口から発されたのだから、そのギャップは言葉に出来ない。
やり取りとも言えない短い時間の中で、俺にしては珍しく、このダンサーが気に入っていた。
「黙ってないで何とか言ってよ。売ってくれるの、くれないの」
「……ああ、すまない」
憤懣な様子のダンサーに向けて陳謝してから、俺はカートからバルーンハットを取り出す。
確かにこれを売れば懐もそれなりに暖かくなるだろう。
だが、何故だか俺はこのダンサーに売りつける気にはなれなかった。
すっとダンサーにバルーンハットを差し出すと、ダンサーは怪訝な顔で俺を見つめ返す。
「売ってくれるの。幾ら」
「いい」
「は?」
「君に譲渡しよう」
「……ねえ、これ相場で幾らか知ってるの?」
「知っている」
「それでもくれるの?」
「ああ」
逡巡の後、ダンサーは力強く微笑んだ。
「なら貰う。後で返してって言ってもダメだからね」
「構わない。それも似合う人間の手にあったほうが嬉しいだろう」
それが本音だった。
武器でも装備品でも、変わらない。似合う人間、大切にしてくれる人間の手にあるほうが嬉しいだろう。それは俺の、製造屋としての持論だった。
このダンサーが被ったならきっと似合うだろうし、何よりこう欲しがっているのに転売するとも思えない。
手にしたバルーンハットを愛しげに撫でながら、ダンサーはこちらを向いた。
「ふーん。ねえ、名前なんて言うの」
「……クラウディオ」
「ふうん」
次に出てくるのは「聞いたことがある」か「ランカーの」か、もしくは「珍しい名だ」か。そのあたりを予想した俺だったが──返ってきた答えはそのどちらとも違っていた。
「それじゃ長いし呼びにくいから、ラゥでいいよね」
「ラゥ?」
「そう。いいよね」
有無を言わさぬ、というより反論を許さないその堂のいった物言いは、他の人間にされたなら不快でしかないだろう。だがどうして、このダンサーに言われても不快にならない。
「別に構わない。そういえば君の名は?」
名前を聞かれたのだから聞き返しても問題はなかったかもしれないが、不躾な聞き方をしてしまったかもしれない。少々後悔したがダンサーは気を悪くした様子もなく答えた。
「蓮彌(はすみ)」
「美しい花の名を冠した名だな」
「でしょう。ボクも気に入ってる」
誇らしげに胸を張ったダンサーは、手にしたバルーンハットを頭に乗せた──思ったとおり、良く似合う。
「また来るよ、ラゥ」
颯爽と帰っていく後姿に見蕩れていた俺は、数分後白狼に話しかけられて、男性なのか女性なのか聞きそびれたことに漸く気付いた。
次に逢えた時に、聞けばいい。
また来ると、そう言っていたのだから。
滅多に拝めることが出来ないこと、性能の良さ、可愛らしさの三拍子揃っている為相場は中々の値となっている。
能書きはいい、本題に入ろう。
……そのバルーンハットが此処にあるんだが、どうしたものだろうか。
プロンテラ、中央噴水前。昼をいくばくか過ぎた通りは人も多く活気がある。
昼飯を食い終わり、露店の準備をしていた俺の耳に、話しかけてくる声と鳥の鳴き声が聞こえた。
「どうしたんだ? ディオ。そんな神妙な顔してカート見つめて。中に見ちゃいけないものでも入ってたとか?」
「ぴるるるる」
振り向いたそこに居たのは、良く近くで露店を出すアルケミスト、白狼。彼の供であるフィーリルの蒼天も一緒だった。
我ながら人好きのすると思えない仏頂面で返答するのにも関わらず、気さくに話しかけてくる。正直な話はじめは鬱陶しかったのだが、商人同士のパイプを繋ぐ意味でも親しくして損はないだろうと、この程度の会話はする間柄となった。
クラウディオというのが俺の本名なのだが、それを略し、ディオと呼ぶ。嫌な気はしないのでそのまま呼ばせている。
「俺が先日、箱を開けたのを覚えているか。その時バルーンハットを出しただろう」
「ああ、見た見た。先週だっけ。そのあと露店に並べてたよな。相場よりちょい安値で出して所為か、あっさり売れててさ。財布潤っていいなあって思っ……」
話しながら白狼が俺のカートを覗き見、言葉を止める。そこには燦然と輝く、今しがたの話題の中では売れた筈のバルーンハット。
ぎぎいっと機械的な首の動きで白狼は俺を見上げる。
「……売れてなかったっけ、バルーン」
「ああ、前のはな」
「これは?」
カートの中をつん、と白狼が突付く。一旦は白狼の指の跡を残したバルーンハットは、その弾力ですぐに元の形状を取り戻した。
「今日、開けたらこれが出た」
「また?」
「ああ」
言葉を失った白狼に、俺は頷いて答える。
「これをどうしたものかと思ってな」
確かに高性能なのは解っているが、その性能はBSには意味がない。
趣味装備として被っている同職も居るが、可愛らしいものを装備する趣味は俺にはない。現に今、頭に載せているのはモルデンc挿し月桂樹の冠だ。これも人によっては可愛らしいと思うかもしれないが、製造BSである俺にとってLukが上がる重要性を鑑みた結果に過ぎない。
「被ればいいじゃないか。似合うぜ?」
「……そういう冗談は好きではない」
「冗談じゃないんだけどな。なら、素直に売ればいいさ。折角高値なんだし、どんどん値下がってきてるから売るなら今だぜ? 不良在庫になる前に、露店に出すのがいい」
「お前の相場の読みは当たるからな」
このアルケミストと懇意にしている理由の一つに、白狼の相場読み能力がある。彼の持つその先読みの感覚、特に武器製造や製造材料の買い取り価格等で幾度か助けられていた。
「それか、意中の子にでもあげるとか」
「意中?」
言葉の意味を理解できず、俺は白狼に問い返す。
「貢物としちゃ、なかなかのレベルだろ」
「……馬鹿を言え。相手もいない人間に」
「ランカーBSとお近づきになりたいような輩はごめん、だもんな」
「そういう事だ」
憂鬱げにそう言うと、白狼は苦笑して俺の肩を叩き、隣で露店の準備を始めた。
実際、ランカーという言葉だけで寄ってくるような人間ならば掃いて捨てる程居たが、鬱陶しいだけで相手にしない事が殆どだった。
ふう、と息を吐いて空を見上げる。ふと気がつくといつからそこにいたのか、一人のダンサーが俺のカートをじっと覗き見ていた。
年の頃は二十歳前後といったところか。中性的な雰囲気を醸し出している。随分と容貌の整っているそのダンサーは、衣装をアレンジしているのか、下肢の部分がジプシーの衣装の丈を短くしたような見目になっている。
「……なんだ」
「別に」
アルトなトーンで不機嫌そうに答えるダンサーの視線は、バルーンハットに注視されている。
「……悪いが、これは売り物じゃない」
「なんでっ! カートに入ってるのに!」
「これは今処遇を悩んでいる品なので、カートに入れているだけだ」
そもそもカートに入れているイコール売り物とは限らないとも思ったのだが、噛みつかんばかりの相手の様子に説明を省く。
「ならボクに売ってよ」
その人称に、俺は引っかかりを覚える。女性でもたまに使う人間はいるが、目の前のダンサーはどちらとも解らない。女性にしては凹凸がないし、男性にしては華奢だった。最近では女装のダンサーもいると聞く。
ただ、美しかった。改めてそのいでたちを眺めると、均整の取れた躯にすらりと長い四肢。何より印象的な、強い意思の宿った瞳とまっすぐな視線。男女という境界をつけることすら厭わしく思えてくる。
「これが欲しいのか」
「そうだよ! この白玉団子が欲しいの!」
「……」
俺は思わず言葉を失った。
未だかつて、バルーンハットをそう呼ぶ者を知らない。
いや、もしかしたならそう形容している人間は他にもいるかもしれないが、俺にとってその呼称は衝撃的だった。特に見目の整った人間の口から発されたのだから、そのギャップは言葉に出来ない。
やり取りとも言えない短い時間の中で、俺にしては珍しく、このダンサーが気に入っていた。
「黙ってないで何とか言ってよ。売ってくれるの、くれないの」
「……ああ、すまない」
憤懣な様子のダンサーに向けて陳謝してから、俺はカートからバルーンハットを取り出す。
確かにこれを売れば懐もそれなりに暖かくなるだろう。
だが、何故だか俺はこのダンサーに売りつける気にはなれなかった。
すっとダンサーにバルーンハットを差し出すと、ダンサーは怪訝な顔で俺を見つめ返す。
「売ってくれるの。幾ら」
「いい」
「は?」
「君に譲渡しよう」
「……ねえ、これ相場で幾らか知ってるの?」
「知っている」
「それでもくれるの?」
「ああ」
逡巡の後、ダンサーは力強く微笑んだ。
「なら貰う。後で返してって言ってもダメだからね」
「構わない。それも似合う人間の手にあったほうが嬉しいだろう」
それが本音だった。
武器でも装備品でも、変わらない。似合う人間、大切にしてくれる人間の手にあるほうが嬉しいだろう。それは俺の、製造屋としての持論だった。
このダンサーが被ったならきっと似合うだろうし、何よりこう欲しがっているのに転売するとも思えない。
手にしたバルーンハットを愛しげに撫でながら、ダンサーはこちらを向いた。
「ふーん。ねえ、名前なんて言うの」
「……クラウディオ」
「ふうん」
次に出てくるのは「聞いたことがある」か「ランカーの」か、もしくは「珍しい名だ」か。そのあたりを予想した俺だったが──返ってきた答えはそのどちらとも違っていた。
「それじゃ長いし呼びにくいから、ラゥでいいよね」
「ラゥ?」
「そう。いいよね」
有無を言わさぬ、というより反論を許さないその堂のいった物言いは、他の人間にされたなら不快でしかないだろう。だがどうして、このダンサーに言われても不快にならない。
「別に構わない。そういえば君の名は?」
名前を聞かれたのだから聞き返しても問題はなかったかもしれないが、不躾な聞き方をしてしまったかもしれない。少々後悔したがダンサーは気を悪くした様子もなく答えた。
「蓮彌(はすみ)」
「美しい花の名を冠した名だな」
「でしょう。ボクも気に入ってる」
誇らしげに胸を張ったダンサーは、手にしたバルーンハットを頭に乗せた──思ったとおり、良く似合う。
「また来るよ、ラゥ」
颯爽と帰っていく後姿に見蕩れていた俺は、数分後白狼に話しかけられて、男性なのか女性なのか聞きそびれたことに漸く気付いた。
次に逢えた時に、聞けばいい。
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